第21回伝統的工芸品月間図画・作文コンクール 作文の部 作品紹介
【経済産業大臣賞】
「我が町の伝統工芸」 鈴木志帆 (名古屋市立有松中学校3年)
有松。そこから連想される言葉は「有松絞り」「山車」「街並」など、伝統的なものであふれています。社会の教科書に伝統工芸品として「有松絞り」が載っていたとき、私は感動しました。今まで身近に感じていたものが教科書に載るくらい有名なものとは思っていなかったからです。私の住んでいる町をとても誇らしく思えました。
私は「有松絞り」と小学校のころからかかわってきました。絞りのハンカチ、Tシャツ作り、校外学習の絞会館見学、伝統工芸のビデオに出演したこともあります。だから、「有松絞り」を伝統工芸品という特別なものとしてとらえずに身近なものとしてとらえてきました。毎年六月第一土曜、日曜に開かれる「絞り祭り」には地元の人はもちろん、遠くの人、中には外国人もたくさん来ます。そんな人々を見ると、本当にうれしくなります。名古屋なんて、ましてや有松なんて知らない人が多いと思われる外国で興味を示してくれる人がいる。仕事の都合で日本に来て寄ってくれる人がいる。何の理由であっても「絞り祭り」に来てくれているたくさんの人々を見ていると胸がいっぱいになります。
私が今使っている弁当包みは、小学校の総合の授業のときに絞りの機器を使って本格的に作ったものです。柳絞り、巻き上げ絞り、縫い絞り、鹿の子絞りと欲張りな私はたくさんの絞りを使いました。授業が始まるとき、絞りの先生が私の布を使って柳絞りの説明をしてくださいました。先生は力強くキューッと糸をひいてグルグル巻き上げていきました。
「思いっきり引っ張ってください。」
と先生がおっしゃいました。それで、私はキュンキュンに巻き上げました。染料で染めて糸をぬいたとき、あっと思いました。先生の柳絞りと私の柳絞りは全く違っていたのです。先生の柳絞りは糸の跡がきちんと残っていて線が等間隔にそろっているのに、私のはぼやっとした線でふぞろいでした。その時、改めてわかりました。これが職人の技なのだということが…。それと同じに、私の技術ではまだまだで、職人さんのようなものを絞るには力が足りないということも感じました。
「有松絞り」で今、問題になっていることがあります。それは他の伝統工芸の問題にもなっている、後継ぎがいないことです。校外学習のときお店の人に、
「今、悩んでいることは何ですか?」
と尋ねたところ、
「後を継いでくれる人がいないことです。」
と寂しそうに答えてくれたことが忘れられません。しかし、技術を一人前にするのにたくさんの時間と努力がいるうえ、収入も安定していない職業に就きたいと思う人はあまりいないのでしょう。しかし、その分、他の仕事では味わえないような感動を得ることができるのだと思います。昔から引き継がれてきた賜物を自分の手でつくり、発展させ、未来へ渡す。この緊張感は他の職業では感じることができないものです。この素晴らしい経験をもっとたくさんの人にして欲しいです。
そこで私は考えるのですが、「有松絞り」や他の伝統工芸品を『職業』としての枠と新しく、『趣味』としての枠をつくってみてはどうでしょうか。そのほうがもっと多くの人に伝統工芸品を買う楽しみだけでなく、つくる喜びを味わってもらえると思います。例えば、全国の伝統工芸品を集めた『学校』をつくるのです。そこにはたくさんの講座があり、講師がいます。有松絞りを楽しみたい人は有松絞りの講座、友禅染めをマスターしたい人は友禅染めの講座を受講すればいいのです。
今まで私達は伝統工芸というものを堅く見すぎていたような気がします。確かに価格は高いし、必需品というものではないのですが、職人たちのそのものに込めた思いがたくさんつまっています。今を生きる私達は伝統工芸品を保護するのはもちろんですが、それ以上に発展させていくべきではないのでしょうか。
【文部科学大臣奨励賞】
「目で見て覚える。慣れで覚える。」 岡部憲和 (東京大学教育学部附属中等教育学校1年)
僕の家には、『増太郎』と彫られた、ハサミがあります。実際、手に持つと、「うっ」と思うほど、重いです。そして、刃を見ても、かなり太目で、物理的に考えて切れ味が良いハサミとは思えません。ただ、持つ所は、ゆるやかなカーブがかかっていて、持ちやすかったので、実際に使ってみました。すると、シャワシャワという音がして、不思議なくらい真っすぐに切ることができ、驚きました。僕は、ハサミを使うのが下手で、まともな直線を切れたことがなかったからです。僕は、急に、どうしても、このハサミを作った、増太郎さんに会いたくなりました。
増太郎さんの家は、東京の金町にあり、家と工場がつながった一軒家でした。石に彫った、『増太郎』の表札が、みごとでした。増太郎さんは、小柄な、めがねをかけた、やさしそうな人でした。
早速、ハサミ職人になった経緯から伺うとおちついた声で話してくださいました。
「私は、十才の頃、両親を亡くして、その頃から仕事をしていました。どうして働くのかも、何故その場にいるのかも分からなくて、ただやれと言われたことをやっていました。でも、作るのが嫌になったことはないですね。その頃は食べるために、早く、一人前にならなければいけないとも、思っていましたから。」
十才で両親を亡くした生立ちから考えると、つらいことが多かったはずです。でも、増太郎さんは、かげりの全くない人でした。
次に、跡継ぎの息子さんに、何を求めるか増太郎さんに尋ねると、答えは明快でした。
「最近は、伝統的工芸も科学的になってしまっている。火の温度を測るのに、温度計を使ったり、説明書を読んで作ったり、私たちの頃とだいぶ変わってしまったよ。私の頃は、『目で見て覚える。慣れで覚える。』で習ったから。私は、科学的でない伝統的なやり方を次の代に受け継がせたいと思っています。」
実際、跡継ぎの人に、伺ってみました。
「僕は、科学的でない教え方で教わっています。何事も経験が大事で、慣れで覚えろと、よく言われます。僕は、先生に教わった通りのやり方と、自分のやり方というの合わせてやっていきたいと思っています。」
跡継ぎの人に、増太郎さんの気持ちが、十分に伝わっているのが、よくわかりました。
最後に、増太郎さんの奥さんに伺いました。
「主人は、一つのことを極めたから、良いのだと思います。私は、ハサミを売っていて、『今までにない切れ味。』と言われている主人が好きです。普通は、仕事をしていたら、誰だって苦労を感じると思いますが、主人は感じてないと思います。あの人は、本当に作るのが楽しくて作っているんです。」
僕は、奥さんのことばの端端に、増太郎さんに対する尊敬の気持ちを感じました。
増太郎さんは、小さい頃に両親が亡くなってしまい、生活のためにハサミを作り始めました。しかし、一人前と認められてからは、自分がやり続けて来たことを、時代に合わせることなく、そのまま跡継ぎの人に受け継がせようと考えて来ました。『目で見て覚える。慣れで覚える。』という、仕事の覚え方を、後に伝える使命に燃えていました。
また、この職人を、「一つのことを極めた人で、本当にハサミ作りを楽しんでいるんです。」と言える、奥さんが支えていました。さらに、父親を、師と認識して、「先生に教わった通りのやり方で、慣れで覚える。」と言い切る、跡継ぎの息子さんが、いました。
僕は、『目で見て覚える。慣れで覚える。』というやり方を、しっかり守り続けて来たことが、増太郎さんの技術と信用を高めたと信じます。そして、家族の強い信頼関係が、増太郎さんがハサミを極めた職人として、一生を通せる礎になっているのだと思いました。職人を支える人の大切さを実感できました。
【伝統的工芸品月間推進会議議長賞】
「かたい手のひらが私の伝統工芸」 橋愛美 (松原市立松原第三中学校3年)
私の父と祖父は伝統工芸の一つ“欄間”を仕事としている。もちろん、私は産まれた時から欄間はどんなものか何となくは知っていた。
小学校に入ると、自分の親の仕事について調べることが多くなった。その都度、先生や友達に、
「欄間って何なん?」
ってよく聞かれ、
「なんでみんな知らんねやろ」
って思ってた。でも、
「伝統工芸ってどういう意味?」
って聞かれたら、私もわからなかった。
“そろばん”や“筆”など身近な物も伝統工芸の一つだけど、それらを伝統工芸だと知っている人は少ないのじゃないかな?と私は思う。
最近、父と祖父は、色々な所に講習をしにいっています。小学生や大人、外国人、多くの人に教えています。その時父は子供達に、手のひらにできた、たこをさわらせて
「かたいやろ。これが仕事してる手やで」
と言ってるそうです。だから、たくさんの人がこうゆうことを通じて、“欄間”や“伝統工芸”の意味を知ってくれているんだろう、と思う。
「この仕事はもう若い人少ないし、大変や。」
って、前に父が言っていた。でも、講習に行ったりしてるから、少しでもこの仕事に興味を持ってくれて、伝統工芸についても、理解してくれたらいいなと思います。
私は以前に何度か父の仕事を手伝わせてもらったことがある。彫っていても、なかなか自分の思い通りにいかなかった。そして、父の手のひらにできているかたい、たこの意味がとても分かった。ずっと彫っている間は下を向いたままでだんだん肩が痛くなったし、こんなに力のいる仕事だと思わなかった。それに、この仕事は力だけじゃなく、デザインを考える発想力なども必要だと思う。ただ線にそって彫ればいいものだと思っていたけど、実際やってみると、力もいるし、時間もかかる。でも、こんなに苦労しているから、とてもいいものが出来るし、お客さんも喜んでくれるんだと思います。
考えてみると私は、産まれた時から伝統工芸が身近にあった。小さな頃は、何も思わず、ただ、家業が“欄間”で、それがあたり前の生活だった。時には何ヶ月も休む事もなく、夜遅くならないと帰って来なかったり、今でも休みの日以外は、夕食を一緒に食べる事もないので、父と話す事も少なく、まして、伝統工芸について教えてもらった事など無かったけど、学校で調べたりして、伝統工芸が、こんなにすごい仕事だと初めて知った。
そして、情けない事に初めて家業の欄間が伝統工芸の一つだと知った。
最近では、神寺の彫刻などで何mもある大きな大木が、仕事場を占領している。
「固いから疲れる」
「こんな大木は気で負けたら仕事が進まん」
と言いながら、父と祖父は彫っている。
そして、また、二人の手のひらが、かたくなっていくだろう。