伊勢崎絣の魅力


素朴な味わいで庶民の心をとらえた「太織(ふとり)」
伊勢崎太織縞
伊勢崎太織縞
(天保年間/1830〜44)
女子7歳の祝着、格子縞

 伊勢崎絣のふるさとは群馬県伊勢崎市、赤城や榛名といった山々を背に、古くから養蚕が行われてきた所です。江戸時代には定期的に市が立ち、絹織物や生糸などが盛んに商われました。そうした中で、人気商品として台頭していった絹織物が太織(ふとり)でした。
 太織は伊勢崎の農家の人々が、残りものの繭から引き出した糸を使った織物で、もともとは自家用に生産していたものでした。太織は、ざっくりとした感触が心地良い上に渋味のある縞柄が洒落ていて、しかも丈夫でした。そんな太織は庶民の間で人気を博し、江戸をはじめ大阪や京都にまで広まっていきました。

素朴な織物「太織(ふとり)」から繊細な織物「銘仙」へ
珍絣(板締め)
珍絣(板締め)
(大正中期)
龍郷大島
 伊勢崎の太織は、人気が高まったことで、商品用に生産されるようになりました。本格的な商品づくりが盛んになるにつれ、さまざまな織物関係の専門業者が現われました。彼らの活躍もあって、太織の品質は次第に高められていきました。
 明治時代になると、染色や織の技術がさらに進歩し、現在の伊勢崎絣へ伝えられるさまざまな絣の技法が産み出されました。また、その技法と呼応するように、使われる糸も手紡ぎ糸から撚糸に変り、太織の魅力は、「素朴な味わい」から「洗練された絣模様」に変っていきました。伊勢崎の絣技法で表現される模様は非常に繊細で、染め物と間違われる程精緻なものでした。大きく変化をとげた太織は、明治時代の半ばごろから「銘仙」と呼ばれるようになったのです。
銘仙から伊勢崎絣へ
香炉 三友文(香炉・香合揃)
伊勢崎銘仙ポスター
昭和4年(1929)水谷八重子
 伊勢崎の織物というと、懐かしさとともに銘仙の名を挙げる人もまだまだ少なくありません。銘仙は、経糸の数が多くて緻密な、絹の平織物として知られた織物でした。「めいせん」という名は、当時の太織が、織目の細かさから「目専(めせん)」や「目千(めせん)」と呼ばれていたことから付いたとも言われています。
 銘仙と呼ばれるようになった太織は、明治から昭和にかけて一世を風靡しました。時代は移り現代では、銘仙は伊勢崎絣と呼ばれて広く親しまれています。
 銘仙を彩った絣模様やその技術は、明治に始まり大正・昭和と時代とともに進化をつづけ、多彩な絣技法を生み出しました。その伝統は、現在の伊勢崎絣の中にも脈々と息づいています。
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伊勢崎織物工業組合