越前和紙
この人に聞く 職人気質は父譲り。 九代目岩野市兵衛氏

九代目
岩野市兵衛氏

昭和8年9月28日、福井県今立町生まれ
伝統工芸士、県指定文化財、伝統表示事業検査委員。越前奉書製造で有名な人間国宝八代目岩野市兵衛の長男として生まれる。古来よりの技術、技法を習得し、生漉(きずき)奉書の伝統を現代に伝える。



伯父から技術を、父親からは職人の心意気を習いました。

 八代目である私の父親は次男でしたが、長男が身体が弱かったので跡を継ぎました。私は私の伯父にあたる長男から技術を習ったんです。私は中学を卒業して、そのままこの仕事に入りました。とくに厳しくされたことはないし、かといって丁寧に扱われたこともない、紙を漉く毎日が淡々と続いていったという感じです。私は細かい仕事が好きでしたから、もし紙漉きをしていなかったら、版画を彫っていたかもしれません。
 父親から叩き込まれたのは、紙漉きの職人気質ということになりますね。紙を漉き始めてまもないころ「よその紙漉きは見なくていい」と言われたことがありました。「うちの技術が最高だからよそのまねをすることはない」ということかと思っていたんですが、後で考えてみると違うんです。「儲かるからといって色付けをしたり、模様付けをしたり、そういう紙つくりをしているところを見るな、生漉奉書を作る職人にはそんなごまかしはきかない。紙漉きをするなら商売人ではなく職人になれ」という意味だったんだと思います。



家族4人の技術が認められた

 私の作っている生漉奉書は手間と費用がかかるため、どんどん需要が減っていったときにはもうやめようかと思ったこともありました。でも私の作る紙を本当に必要としてくださっている方がいる限り作り続けなければ、と心にいいきかせ、黙々と紙を漉き続けました。
 平成9年に福井県の無形文化財に指定されましたが、私個人というより家族4人で受け継いでいる技術、製法が無形文化財として認められたのだと思っています。その家族の一員として私の息子がおりますが、彼が十代目を継ぐかどうかはまだわかりません。いまは紙づくりをいろいろと助けてくれている、という状況ですね。



葛飾北斎の極薄の版画用紙を漉いたことは印象的でした。

 7年ほど前にボストン美術館の収蔵庫から葛飾北斎の版画の原版が見つかったんです。それを当時と同じ紙で版画にしたいのでその紙を漉いてくれないかという申し出がありました。それが百分の十一ミリという極薄い紙なわけですよ。しかも何度もバレンをかけますから丈夫なものでないとまずいんです。で先方から「岩野さん、この難しい紙引き受けてもらえますか」といわれて、「わかりました」と返事をしました。私としてみたら、難しい紙ではあるけれども先人たちができたことがどうして当世の職人ができないことがあろうかという思いだったんです。それで何日もかけて漉いたんです。ただそれを始めたら没頭してしまって、ほかのお得意さんからの注文に手が付けられなくなって、結局大切なお得意さんを逃がしてしまったんです。でもその紙が漉きあがって、版画を見たときは感動しましたね。江戸時代の版画が現代の職人が漉いた和紙の上によみがえったわけですから。
 最近の復刻版画はバレンを二百回、三百回とかけるので、それに耐える版画用の紙を漉くのは難しいことですが、それに挑戦するときにはやっぱり職人の血が騒ぎますね。




岩野氏の漉いた生漉奉書



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