この人にきく 伝統工芸士 佐々木和夫氏 
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繰り返しの中に、いつも新しい何かを感じる
伝統工芸士 佐々木和夫(ささき かずお)さん

昭和20年生。雅号は薫山(くんざん)。20代半ばに自動車整備士から南部鉄器の世界に転身。
現在、盛岡手作り村内の有限会社薫山工房にて製作活動中。


 小雪ちらつく日の午後、南部鉄器の工房が並ぶ手作り村の一角、薫山工房で佐々木さんにお話をうかがいました。

自動車整備士からの転身
 南部鉄器の製作にかかわってから25年という佐々木さんですが、そのきっかけは思いもよらない形で訪れました。
 「もともとこの工房は義理の兄が初代の後を継いでいたのですが、その義兄が病気でもう仕事を続けることができなくなって、あとを継ぐ人間がいなくなってしまったんです。病身の義兄や高齢の義父が一生懸命やっているのを見て、その工房が終わってしまうのは残念だと思い、始めたようなものでした。当時、私は自動車の整備をやっていたこともあって、鉄器づくりの仕事にもあまり抵抗を感じずに入れたんです。」

 若いうちから技術を学ぶことの多い世界で、20代半ばという年齢は少し遅めのスタートですが、その分しっかり教えてもらったと佐々木さんは語ります。
「職人の世界では、見て技を盗めみたいな事をいいますが、うちの場合は学校みたいでしたね。教える側も残された時間がほとんどありませんから、少しでも多く教えようとするし、こちらも覚えようとします。実際、私がこの仕事について3年で義父は他界してしまい、自分ひとりでやっていかなくてはならなくなったんです。」

 職人として一番大切な時期に師匠を失った佐々木さんは、幸運にもまわりの工房の職人たちから知識を分けてもらうことができました。しかし、結局は他の工房の人間ですからそうそう教えてもらっている訳にはいきません。最終的には自分自身で試行錯誤を繰り返しながら技術を身につけてきたのだそうです。
 「なんべんやってもうまく行かなくて泣きたくなったこともありました。何をやるにしても知識がないことが多いんですから。でも、いろいろと工夫することで、できるようになることが面白かったんですね。」


使ってもらう喜び
 「私は元来職人ですから、ものをつくってればそれで満足していますが、やはりそのなかで一番うれしいのは買ってもらう、使ってもらうということなんです。」
 佐々木さんがこの世界に入って10年、ご本人いわく駆け出しのころ、盛岡で裏千家の東北大会が行われました。その時の裏千家の家元の若宗匠が、鉄器業界から出品されていた10数点の中から選んで買い求めた茶釜は、佐々木さんの作品でした。

 「それは入賞よりもうれしかったですね。TVの茶の湯の講座で、その時の釜が映っているのを見ることがあります。そうすると『あれは俺がつくったやつだ』という感じで見てしまいます。もちろん正式な席なんかでは使ってもらうことはないと思いますけれども。
 あの時、大先輩の鉄瓶の職人さんたちが沢山出品している中で、なんで若僧のものを買ってくれたのだろうかといまでも不思議に思っているんです。賞をもらった作品も沢山ありますが、たいていそういうものは売れないんですよ。大先生の作ったものは売れないということはないと思いますが。当時の自分みたいな駆け出しの職人は、作ったものがそう売れるもんではないんです。そんな状況で自分の作品が買われてきちんと使われたということは一生忘れられませんね。」


職人の醍醐味
 鋳物は、鋳型に鉄を流し込んでものを作ります。ですから、実際の作業で作られるへこみは出っ張りに、くびれは張りにと、すべて反対の形に転換されます。
 「鋳物というのは空間に鉄を流してつくる関係で、陶芸などとは違ってでき上がりとはすっかり正反対のものをつくります。模様もそうですし、作業もそうです。これは他にないような工芸の世界ですから面白いんですね。」

 こうして鋳型に流し込む鉄を熔かす作業は、すべて佐々木さん自身の感覚を基準に行います。工業機械のような材質管理をするわけでもなく、ただこれまでの積み上げてきた経験で鉄の温度、状態などを判断をするのです。
 「もちろん温度計もありますが、いちいち温度をみてるようでは職人の仕事とはいえません。だから自分の感覚がうまくはまった時は仕事の面白味を感じるんです。これが職人の腕の見せ所ですから。」
 しかし佐々木さんほどのベテランになっても、花湯と呼ばれる熔けた鋳鉄を取り出すまでは大丈夫かどうかという不安があるといいます。

 「実際、完全な作業でやって100パーセントできるはずだと思っても、やはりどこか具合が悪くて、うまくいい鉄が熔けだせないということもあります。いつやっても新鮮だというのはそこなんです。もちろん、そうそうそんなことが起こる訳ではありませんが。」と佐々木さんは笑います。
 「この仕事の難しさは、いくら長い間やっていても、これでいいということがないことですね。死ぬまで勉強です。でも、それは辛いうちには入らないと思いますね。勉強することによって、いつも新鮮な気持ちを持てるのではないかという気がしますから。」

 そういう佐々木さんもかつては壁にぶつかって悩んだこともあったといいます。
 「やはり自動車屋の方がよかったかなって何回も思いました。でも今になって考えてみれば、あそこで自動車屋に戻っていたら、今ある自分は考えられないし、こういう、ものを作る楽しみ面白さというものとの関わりは、その時点で終わってしまったでしょう。ですから今となっては続けていて良かったと思っています。」



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