刃物 錫器 銅器 銀器 金箔
深く豊潤な味わい 銅
INDEX|伝統|鉄で元気|この人にきく|鉄の造形美|
できるまで|金工品|お茶|新しい鉄|スポット|


3. 深く豊潤な味わい 銅

 最も古くから人と共にあった金属、銅。"あかがね"とも呼ばれたその美しい色合いは、はるかな時を超え、今も人を魅了しつづけています。

高岡銅器
高岡銅器
 優美な文様と動きのある美しい曲線。細部にまでこだわった繊細な造形。きめ細かく柔らかな鋳肌。仏具や花瓶、置物、茶器をはじめ、手の中に収まる小さな文具から、巨大な大仏や梵鐘まで、広い範囲で美を創造する銅鋳物、それが高岡銅器です。

 高岡銅器の技法の一つ「蝋型(ろうがた)」は製品の原形を蝋で作るため、複雑で繊細な形を作ることができます。「蝋型」は原形を砂と粘土を混ぜた鋳物砂で包み、それを焼いて蝋を流出させたあとのすきまに銅を流し込むため、原型1つにつき製品1つしかできません。ですから贅沢なものといわれるのです。主に花瓶や置物、香炉などの高級品の製作に用いられます。


銅器のプロデューサー、銅器商人
 現在、全国の銅鋳物の90パーセントのシェアを持つ高岡銅器ですが、その元を築いたのは江戸時代中期ころから登場した銅器商人でした。高岡の商人が、当時家庭用の仏具が広まり始めたことを素早く見抜いて、京都から高岡に技術を持ち込み、家庭用の仏具の生産を促し全国に向けて販売をはじめたのです。こうした商人の中には全国各地の香炉や花瓶を収集し、職人たちに見せて彼らの意識を高めようとした者もいました。また、19世紀の中頃にはヨーロッパ向けの銅器の開発をするために、横浜でイギリス人やフランス人とデザインの打ち合わせを行っていた商人までいました。

 彼ら、銅器商人は、原料の銅地金の仕入れや、その原料によって高岡で作られた銅製品を各地に販売するだけではなく、全国各地を回りながら新しい知識や情報、需要の傾向を集め、それに基づいて職人たちに製品の発注をしていきました。こうした商人と職人の関係は、明治時代以降にも引き継がれてきたのです。

高岡銅器についての詳しい情報はこちら


燕鎚起
燕鎚起(つばめついき)銅器

 蓋と取っ手以外は、すべて1枚の銅板から叩いて形づくられた薬缶。平面を叩いて柔らかな曲面を持つ立体に変える優れた手技を「鎚起」といいます。
 燕では薬缶をはじめ、菓子器、茶托、銘々皿などの日用品、茶道具などの美術品まで、幅広い鎚起銅器を製作しています。
 燕鎚起銅器には、日本家屋はもとより洋間にも似合う味わい深い独特の風合があり、その技術は世界のトップクラスに位置するといわれています。

生活雑貨から美術工芸的なものへ
 近隣に良質な銅を産出する鉱山があることから、燕では古くからその銅を使って農耕用具などを作る野鍛治が行われていました。その技術的な土台に、和釘づくりが盛んだった三条から伝わってきた釘鍛治の技術が加わり、誕生したのが鎚起銅器です。
 江戸時代中期に始まったといわれる鎚起銅器は、明治時代まではその製品のほとんどが鍋や薬缶などの生活用品でした。薬缶には、鎚起銅器の製作に使われる基本的な技術のすべてが含まれているため、現在でも鎚起銅器の説明の例に上げられます。

 明治初頭になると、仕上げ工程に彫金を施したり、有名な画家の図案を採用するなど、積極的に製品の質の向上を図った製品が作られるようになりました。日用品としての評価を脱して、美術工芸面での評価を得るために努力を重ねた結果、1873年には、ウィーンの万博に燕鎚起銅器が出品されました。
 美術工芸品としての評価を得たものが登場したものの、当時の主力製品は生活用品でした。その後アルミ製品の登場による打撃や、第2次世界大戦を越えて、再び燕鎚起銅器は、美術工芸品的な魅力を評価されることになりました。

燕鎚起銅器についての詳しい情報はこちら


2. 銀器
4. 錫器


南部鉄器INDEXへ戻る