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| 1. 竹と温泉の二重奏 |
| 日本有数の温泉地から生まれた工芸品−別府竹細工。 時代と共に歩み、変りながらもその底流には、伝統の業が息づいています。 |
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九州の浅草 温泉観光が発展した明治時代には、別府は"九州の浅草"として多くの湯治客が訪れる名所になり、竹細工は湯治客の滞在中の生活用具として売られました。 おみやげとしても歓迎されるようになり、湯治客が持ち帰った製品を通じて別府竹細工の評判が広まって、土産物の需要も一段と増えました。それまで農家の副業として作られていた竹細工の世界に専業者が現われるようになり、別府は竹細工の産地へと発展していったのです。 |
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より、良質な竹細工をもとめて −日用品から工芸品へ
しかし日用品から工芸品への移行は難しく、高度な技術を身につけるためには長時間の訓練が必要です。そこで設立されたのが別府町浜脇町学校組合立工業徒弟学校です。明治35年のことでした。 当時別府には、自らの将来を託して他県から多くの竹細工技術者が移住しており、彼らが各地の竹細工技術を工業徒弟学校に伝え、別府竹細工の技術の向上と幅の広がりをもたらしました。 明治・大正・昭和と観光地としての別府温泉の発展とともに、竹細工も全盛期を迎えます。細工にも流派が生まれ、互いに高度な技を競い合い、優れた細工師を輩出していったのです。 |
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プラスチック・ショックを超えて −より工芸的なものへ、そして芸術へ
しかし別府竹細工は明治から続く高度な技術力を活かして、主力を日用品から高級竹製品へ転換することで活力を取り戻しました。 優れた細工師たちが数多くの作品を生み出しましたが、中でもひときわ輝きを放ったのが生野祥雲斎です。多彩な作品を通じて竹工芸を芸術の域まで高めた生野祥雲斎は、昭和42年には竹工芸としては初めて人間国宝に指定されました。 現在別府には、脈々とつづく竹工芸教育の歴史の流れをくんだ、日本唯一の竹工芸の専門過程をもつ高等技術専門校があり、全国各地から集まった竹工芸を志す人が別府の技術を学んでいます。また、竹を専門に研究する産業工芸試験所では、新しい技術や竹製品を開発し、別府竹細工を支援しています。 |
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