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洗練の極致 鍋島様式−おもに寛文年間 1660〜1700年代 極の様式美、現代に通じるデザイン性。 佐賀鍋島藩の威信をかけ技術の粋を集めた、門外不出の藩窯の技。
鍋島様式に登場する花や葉などの素材は、いずれも計算され洗練された文様となって表現されています。余白や青海波(せいがいは)などの連続地紋を巧みに使い分け、全体としての美しさを作り上げる構成には現代のデザインに通じるものがあります。色絵磁器である色鍋島で使われる色は、染付の藍を別にすれば上絵の赤・黄・緑の三色に限定され、その中で美しい色絵をつくりあげています。
また、鍋島様式の特徴のひとつに櫛目高台があります。高台部に寸分の狂いなく、櫛の目のように等間隔に描かれた文様は、描きはじめと描き終わりの見分けがつかない程の精密さです。
鍋島様式にはいくつかの種類がありますが、代表的なものは色彩のある色鍋島です。将軍への献上品や他藩公への贈答用に特別に焼かれたものでした。また染付の鍋島のことを藍鍋島といい、鍋島藩窯の作品の大半がこの藍鍋島と青磁釉をかけて焼かれた鍋島青磁です。元禄、享保時代の作品に逸品があります。 その他、銹釉を使った銹鍋島、呉須をいれた釉薬を流し掛けて焼き上げた瑠璃鍋島があります。 鍋島様式の特徴の一つに規格化された形があります。鍋島焼は城内での使用をはじめ、食生活用品の比率が高く、ほとんどが会席膳用の食器といわれています。木盃の形をした深めの皿に高めの高台をつけた、高台皿と呼ばれるものが、七寸皿、五寸皿、三寸皿などのサイズでつくられていました。
肥前鍋島藩はそのために藩窯を開きましたが、磁器製作の最先端をいく鍋島藩にとって、その技術を高め秘匿することが極めて重要でした。これは何度かの移転ののち、1670年代に秘窯と呼ばれる大川内山に藩窯を移したり、有田の中心部に赤絵町を設けて赤絵屋を登録し、一定地域に居住させ管理保護したことなどからもうかがい知ることができます。
赤絵町のシステムを保持するために、大川内山の藩窯で焼かれたものも、他の有田の窯のものと同様にこの赤絵町に持ち込まれて絵付けされました。その御用赤絵屋として有名なのが現在13代になる今泉今右衛門家です。
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