【クローズアップ】
 
900年の歴史を持つ常滑焼・手ひねりの技
 
常滑焼の手法にはろくろ成形、押型成形(おしがたせいけい)、手ひねり成形の三つがある。このうち、手ひねり成形は、常滑でやきもの作りが始まった当初からの最も古い成形方法で、また、全国的に見ても珍しい常滑焼の特徴のひとつとなっている。今回は、手ひねり成形で花器やカメを作っていらっしゃる前川賢吾さんにお話を伺った。
 
 

「ヨリコ造り」の手法で大きな器を作る前川さん
「人間ろくろ」

前川さんは手ひねりの大物を得意とする職人さんだ。「人間ろくろ」とご本人は言うが、陶工がくるくると台のまわりを回りながら(それもかなりのスピードで!)、太い粘土のひもを巻き上げていく「ヨリコ造り」の手法を使う。この手法は全国的にも珍しいが、昔からカメや壺などの大きな物を作ってきた常滑ならではの技術なのだろう。寒い作業場でも、しばらくやっていると汗をかくという体力技だ。
前川さんが手ひねりをやるようになったのは、やはり陶工だったお父さんの影響だという。お父さんが手ひねりでカメを作っているのを見て育ち、自分も手ひねりをやるようになった。
 
 

作業場の足もとに置かれていた大きな花器
仕事だから嫌いじゃだめ

「小学5年生から後を継ぐと決めていたんですよ。」と前川さん。小学生の時から父親の仕事を手伝い、何となくおもしろそうだと思っていたという。「仕事だから、嫌いじゃだめ。好きじゃないと。」という前川さんの姿勢はユニークだ。やりたいときにやり、やりたくないときにはやらないのだという。その言葉どおり、若い頃からやりたいことをやってきた。高校を卒業して家の手伝いを始めて二年ほどたった頃、海外青年協力隊でフィリピンに二年間やきものを教えに行った。職人としては異色の経歴だ。
戻ってきてお父さんから、作りたいものは自分で考えろと言われて「さて、何をやろうか」と思ったという。何をやれば食べていけるのか、周りの人たちは習いに行っていたが、前川さんは我流で流し込みや手押しによるやきものを作ったという。
 
 

太いひも状の粘土を巻き上げて器の形を作り、隙間を手で埋めていく
手ひねりは900年の歴史を持つ技

結局、手ひねりという最も素朴な手法に落ち着いたのは、伝統工芸士の資格を欲しがっていたお父さんが、事情あって資格を取れずに亡くなったためだった。前川さんが29歳の時のことだ。自分が伝統工芸士の資格を取ることになったとき、小さい頃から父親の仕事ぶりを見て親しんできた手ひねりをやっていくことを前川さんは選んだのだという。
手ひねりの手法で作られるやきものは豪快だ。カメや火鉢、花器などの大きな物が多いが、釉薬をかけない常滑焼の特徴や、1150度くらいまでの比較的低い温度で焼き上げるために発色する茶褐色や赤褐色が何ともいえない迫力と存在感を持つ。「手ひねりの大物は残していきたいね。なぜって、このやり方でしかできないからだよ。」と前川さんはおっしゃるが、手ひねりは900年も前から変わらぬ技でありながら、完成された技術なのだ。
 
 
新しいものを取り入れて

組合の方から伺った話だが、常滑は作家になりやすいというイメージがあるらしい。 市の陶芸研究所などで若い人を受け入れて、 後継者の育成に力を入れていることもあり、 他府県から陶芸作家をめざして常滑に来る人も多い。 「手で作っても機械で作ったように見せろ」とたたき込まれてきたという職人世代とアーチストをめざす若い人たちとの間に意識のギャップがあり、問題がないわけではないというが、 年に20人ほどやってくる人のうち半数が定着するというからかなりの実績だ。前川さん自身も住み込みで来た若い人を指導したことがあるそうだが、刺激があっていいという。伝統を大切にしながらも新しいものを取り入れ、変化していくことは常滑焼の900年の歴史でもある。

中央に積み上げた火鉢はワインクーラーや花器にしてもなかなか素敵
 
 
<職人プロフィール>

前川 賢吾
(まえかわ けんご)
昭和22(1947)年生まれ。
高校卒業後、家業のやきものを手伝うようになる。常滑焼の特徴でもある手ひねりの大物を得意としている。

「やきものは焼くと縮むからさ、本当は膨らむものが作りたいんだよね。パンとかさ。」
 
 

 こぼれ話 

水琴窟に使われた常滑焼


川さんが作った水琴窟用のカメ。今も製作・販売中
興味深いお話を伺った。「水琴窟(すいきんくつ)」の話だ。水琴窟は、江戸時代、茶室の入り口や手水鉢(手を洗うための水を入れた鉢)の地下などに底に穴をあけたカメを逆さにして埋め込んだもので、水がカメの穴から下へ落ちるとカメの中で反響して澄んだ音を響かせる。長い間「幻」と呼ばれていたが、昭和50年代に東京の品川で水琴窟に使ったカメが発見されたのを発端に全国で発掘や復元が始まった。品川のものをはじめ、各地で発見された水琴窟の多くは常滑焼の素焼きのカメだった。港を持つ常滑は全国各地にカメや壺のような大型の陶器の販路を持っていたのだ。昭和62年、名古屋で開かれた 「水琴窟の会」に出席した常滑の職人・前川賢吾さんは、水琴窟復元を計画していた日本の音研究所の中野之也さんらと共同で水琴窟用のカメを開発した。このカメは高さ直径ともに60cmほどで、音の反響をよくするために釣り鐘型に作られている。このカメを使って復元した水琴窟が奈良の当麻寺西南院をはじめ各地で心地よい音を響かせている。


美濃市・旧今井家住宅の水琴窟。こちらは前川さんのカメではなく、和紙作りに使われていた常滑焼の古いカメを使って復元されたもの。