時代の先頭を走ってきた桐生の織物


 奈良時代には桐生から太絹が献上された記録があり、延喜5年(905年)の制度に上野の国の税はあしぎぬと定められていることからも、早くから桐生とその周辺では養蚕が行われ絹織物が生産されていたことがうかがえます。

 その後、新田義貞が挙兵の際に桐生の白絹を旗印に用いたり、関ヶ原の合戦の際に旗絹を大量に献上したことでその名を全国に高めました。
 江戸時代に入ると幕府の保護もあって栄え、京都、大阪、江戸をはじめ諸国との取引も盛んになり、紗綾市(さやいち)と呼ばれる絹市が開かれ大変なにぎわいを見せるようになりました。写真は、この市の様子を描いたものです。

紗綾市
桐生紗綾市之図
(桐生天満宮所蔵)


製品
豪華な桐生の帯の数々
 江戸末期には工場制手工業の資産形態が確立され、お召し、金襴緞子(きんらんどんす)、糸錦のような高度な技術を要する高級織物が盛んに生産されるようになります。
 明治期に入ると、輸出の花形として絹織物が産業振興の先頭に立ちます。桐生でもいち早く欧米の先端技術を取り入れながら、欧米のニーズにマッチした製品の大量生産に取り組みます。その一方で、伝統技術は着実に継承され、ウイーン万博、シカゴ万博に出品した作品は、洗練された意匠と高い精度が大きな反響を呼びました。

 この技術・技法は今日の桐生織に引き継がれると同時に、時代の要求に合わせた技術革新によって新たな伝統が築かれています。


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